■『絵痴』 |
私が通っていた高校は男子校で、ちょっと風変わりな美術の先生がいました。色弱の私にとって美術の時間は苦痛でしたが、学年も終わりに近づいたある日の授業で、先生がクラスの何人かの名前を挙げて言いました。
「お前たちは絵痴(えち)だ。エッチじゃないぞ、エチ。音痴は知ってるな。ちゃんと歌を歌えないのが音痴。音痴の人の歌は、他人には歌に聞こえない。同じように君達は絵痴だから、君達の色彩感覚は他人には通用しない。他人に見せるもの、例えば洋服は決して一人で選んではいけない。必ず恋人や奥さんと一緒に行って選んでもらえ」
私達は「恋人なんていねえよ〜」とふてくされましたが、実は心の中ではほっとしたものを感じていました。色覚異常を、他人に分かりやすい『音痴』と対比して相対化し、実生活上での指針まで示してくれたからです。クラス全員の前で言うことの是非を問うこともできるかもしれません。しかし、全員の前で言うからこそ、前向きで明朗なアドバイスとして受け取ることができたのだと思います。
自分が色弱だということは小学生のときから知っていましたが、「それを補完するための工夫をする」という発想を持ったのはこのときが初めてでした。
■GUIとWYSIWIGの恐怖 |
就職してコンピュータ業界に入り、20年以上、ソフトウェア技術者として仕事をしてきました。仕事の中で色と関係するときは、「青を表示するときは1番、赤は2番」というふうに、色を論理として扱えばよく、初めのうちは何も支障はありませんでした。
1980年代になって、GUI(Graphical User Interface)やWYSIWYG(What You See Is What You Get)という考え方が登場してきました。それまでキーボードで文字を入力することによってしかコミュニケーションできなかった人間とコンピュータが、アイコンや色や図形をふんだんに使った画面を通して、直接に会話できるようになったのです。
しかし、私はたびたびピンチに追い込まれることになりました。色をこれまでのように番号で指定したり、「赤・青・黄」という選択肢から選ぶのではなく、画面上のパレットを直接クリックしなくてはならなくなったからです。
パソコンを操作しながらお客さんにソフトウェアの使い方を説明しているとします。「ここには色をつけることもできるんですよ。どの色にしましょうか。」とパレットを表示してみせます。お客さんが、「これ」と言ってくれれば問題ありません。ところが「黄緑がいいね」と言われるとパニックです。どれが黄緑なんだかわかりません。
電話で話すときも、ソフトウェアのマニュアルを書くときも、画面上のある場所の色を他の人が何と呼ぶのかを知る必要が出てきたわけです。
■苦肉の策『色々の色』 |
「コンピュータの普及に伴って出てきた問題なんだから、コンピュータに解決させよう」と考えました。そこで、画面の色を測定して、色の名前に翻訳する『色々の色』というプログラムを作りました。そして、多くの方に使っていただくために公開することにしたのです。男性の数パーセントが何らかの色覚異常をもつといわれ、またパソコンがこれだけ普及しているのだから、私と同じ悩みに直面している方は多いと確信していました。
実際には、人間にとっての色の知覚というのは、その周囲の色とも相対的に関係する複雑なプロセスです。『色々の色』が表示する色の名前も完璧ではありません。ソフトウェアの画面要素や、ホームページの文字や図形など、言ってみれば人工的な色については実用上問題ないと思いますが、写真の色などは実感とは違うこともあるようです。最終的に人の感性の代わりをすることはできないということです。
ところで、Word97やExcel97では、部分的ですが色の名前を表示する機能が搭載されました。パレット上にマウスを止めておくと「暗い青」といった説明が表示されるのです。こんな機能が一般化すれば、『色々の色』の役割も終わるということになりそうです。
■夢 |
ユーザの方から頂いたメールに「実生活で使える『色々の色』があったらなあ」と書かれていました。これはすべての色覚異常者に共通する夢だと思います。
色彩は、花や美術や口紅のように人の感性に訴えるだけではありません。前記のパソコンの例をはじめ、機器のランプの色、地下鉄路線図の色分けなど、社会的な記号としての機能を有しています。色を直接に感知することができなくても、人がそれを何と呼ぶのかが分かりさえすれば、色覚異常者もこれらの機能を利用できるのです。
これは、プログラマの私にはとうてい手の届かない課題ですが…。